沖縄県護国神社の由緒Honorable history

由緒

沖縄県護国神社が鎮座する那覇市奥武山の地は、古くは奥(ア)武之(フノ)山(ヤマ)と呼ばれる集落のない小島でした。「奥武(アフ)」とは、神々と通ずる地という意味があり、古くから信仰の地とされてきました。
護国神社は、明治三十九年にこの地で県出身戦没者の御霊を招き鎮め、神として祀る「大招魂祭」が県主催で行われたのが始まりです。その後、昭和十一年に沖縄県招魂社として社殿が建立され、昭和十四年に沖縄県護国神社へと改称、昭和十五年に内務大臣指定護国神社となりました。
そして、皇紀二六〇〇年の那覇市の筆頭事業として境内が整備されました。昭和二十年の沖縄戦では米軍の砲撃を受けましたが社殿は奇跡的に残り、戦後は学校用地として供用されるなどを経て、沖縄戦戦没者をお祀りしようとの声が沸き起こり昭和三十四年に仮社殿が建立されました。現在の社殿は沖縄県内外御遺族崇敬者の御浄財により昭和四十年に竣功し、現在に至っております。昭和四十七年沖縄本土復帰を機に宗教法人認証申請の末、翌四十八年に「宗教法人沖縄県護国神社」となり県内外より多くの参拝者が訪れています。

ご祭神

沖縄県護国神社のご祭神は、日清日露戦争以降、先の大戦で国難に殉ぜられた沖縄県出身の軍人軍属を始め沖縄戦にて散華された一般住民の尊い御霊も神様としてお祀りしています。その中には那覇の十・十空襲や対馬丸の犠牲者なども含まれます。さらに、北海道から鹿児島までの本土出身軍人軍属で沖縄戦戦没者も合祀しており、現在のご祭神名簿には一七七、九一三柱のご祭神が記されています。
(柱数は追加合祀の都度異なります。)

那覇市奥武山 沖縄県護国神社

History

The site of Okinawa Gokoku Jinja (sometimes referred to as Gokoku Jinja Shrine), located in Onoyama area of Naha City, was once a small, uninhabited island called 'Onoyama.' The name 'Ono' (called ‘Afu’ in ancient times) means a place that connects with the gods, and it has long been regarded as a sacred place of worship.

Gokoku Jinja was established in 1906, when the Okinawa Prefectural Government held a 'Daishoukon-sai (festival)' at this site to invite and enshrine the spirits, of Okinawans who perished during the war, as gods. Later, in 1936, a shrine building was erected as Okinawa Shokonsha Shrine. In 1939, it was renamed to Okinawa Gokoku Jinja, and in 1940, it was selected as the ‘Minister of Home Affairs’ designated Gokoku Jinja (Naimu-Daijin shitei Gokoku Jinja)’.

Then, as a Naha City's primary project for the 2600th Imperial Year (1940), the shrine grounds were developed. During the Battle of Okinawa in 1945, the shrine was bombarded by the U.S. Forces, however the main building miraculously survived. After the war, the site was temporarily used as school grounds. However, calls to enshrine the spirits of those who perished in the Battle of Okinawa arose, leading to the construction of a temporary shrine in 1959. The current shrine building was completed in 1965, funded by donations from the bereaved families and worshippers both within and outside Okinawa. Following Okinawa's reversion to Japan in 1972, an application was submitted for a Religious Corporation status, and in 1973, it was officially recognized as 'Okinawa Gokoku Jinja,' which continues to attract many visitors from both within and outside the prefecture.

Enshrined Deities

The deities enshrined at Okinawa Gokoku Jinja include the spirits of military personnel from Okinawa who sacrificed their lives for the nation, starting from the First Sino-Japanese War and the Russo-Japanese War, as well as the precious souls of the many civilians who perished during the Battle of Okinawa. Among them are the victims of the October 10th Naha Air Raid, the Tsushima Maru tragedy, and Okinawans who perished on Saipan and Tinian Islands. Additionally, the shrine enshrines military personnel and civilians from mainland Japan, from Hokkaido to Kagoshima, who lost their lives during the Battle of Okinawa. Currently, the shrine’s registery of deities lists 177,913 enshrined souls. (The number may vary with each additional enshrinement.)

歷史

沖繩縣護國神社坐落於那霸市奧武山一帶,這片土地在古時被稱為奧武山,是一座無人居住的小島。「奧武」的意思是與神明相通的地方,自古以來就被視為信仰之地。
護國神社的起源可以追溯到明治三十九年(1906年),在這片土地上舉行了由縣政府主辦的「大招魂祭」,招來並安撫縣內出身的戰殤英靈,並將其奉祀為神明。之後,在昭和十一(1936年)年建造了沖繩縣招魂社的社殿,於昭和十四年(1939年)更名為沖繩縣護國神社,並於昭和十五年(1940年)成為內務大臣指定護國神社。
作為皇紀2600年(1940年)那霸市的首要工程,神社境內得到了整備。在昭和二十年(1945年)的沖繩戰役中,神社遭受了美軍的砲擊,但社殿卻奇蹟般地保存了下來。戰後,該地曾被建為學校。隨後有志者呼籲希望供奉沖繩戰爭中的戰殤者,因此於昭和三十四年(1959年)建設了臨時社殿。現今的社殿得益於沖繩縣內外遺族和崇敬者的捐款,於昭和四十年(1965年)竣工,並沿用至今。昭和四十七年(1972年)以沖繩回歸日本為契機申請宗教法人認證,於翌年昭和四十八年(1973年)成為「宗教法人沖繩縣護國神社」,吸引了許多來自縣內外的參拜者。

供俸的神靈

沖繩縣護國神社所供奉的神靈包括自中日甲午戰爭、日俄戰爭以來為國捐軀的沖繩縣出身的軍人軍屬,以及在沖繩戰役中犧牲的一般居民的尊貴靈魂,也一同被做為神明供奉。
其中也包括那霸的十・十空襲和對馬丸的犧牲者,以及在塞班島、天寧島戰死的沖繩縣出身者。此外,還合祀了同樣於沖繩戰役中犧牲、從北海道到鹿兒島的日本本土出身的軍人軍屬。目前的祭神名簿上記載著177,913柱神靈。(柱數會隨著每次追加合祀而變動。)

境内の御案内Precinct

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護国神社の1年

沖縄県護国神社では年間を通して様々な祭典、行事を執り行っています。
1月 正月

1月 正月

例年三が日で27万人前後の方が参拝されます。

2月 節分祭

2月 節分祭

毎年多くの方がお見えになります

3月

3月

3月26日は沖縄戦においてはじめて航空機を用いた
特別攻撃隊が出撃した日です。
(尚、慰霊祭は4月にご斎行しています。)

4月

4月

春季例大祭

5月

5月

祖国復帰記念祭 浦安の舞

6月

6月

沖縄戦全戦歿者慰霊祭 みたま慰めの舞

7月

7月

入道雲わきたつ7月の社頭

8月

8月

終戦記念みたま祭り

9月

9月

9月からお正月に掲揚する献灯の
募集を開始いたします。

10月

10月

秋季例大祭

11月

11月

この時期は多くのご遺族・崇敬者の方が
参拝されます。

12月

12月

お正月を迎える準備をしています。

アクセス

お車でお越しの方へ

お車でお越しの方へ

お車でお越しの際は、歩行者の安全のため公園内駐車場をご利用ください(赤のやじるし)。神社専用駐車場をご利用の際は、警備員の指示に従い最徐行での運転にご協力ください。

車両の乗入れ方法

  • ①国道58号線沿いの鳥居より奥武山公園内へ。
  • ②突き当り左手のゲートの警備員に「護国神社へ」とお伝え下さい。
  • ③園内を看板の誘導に従い進み神社正面階段の左側スロープより神社駐車場へお進みください。
  • ※公園内は最徐行で願います。
  • ※公園内の催し物などにより国道鳥居にて満車看板などが出ている場合がございますが、神社駐車場は利用できます。

御祈願受付

午前受付 9時30分~11時45分
午後受付 13時~16時

お守り授与

午前 9時~午後 17時

沖縄県護国神社ご祈願、ご祈祷、地鎮祭は、
沖縄県護国神社
お気軽にお問い合わせ下さい。

098-857-2798